前は好きだった歌手が見れなくなった

私は父親から離れているとき、心の調子が良かったときは好きな歌手がいた。

 

ライブには行けなかったけど、新しい曲が出たら真っ先に聞いて、なにかの番組に出たら嬉しくてこっそり録画してみたり、たまにブログが更新されるとすぐにチェックしていた。

 

でもそんな事ができるのは、心に余裕があるときだけだと気付いた。

 

いつの間にかその歌手のことを見るのが辛くなった。

 

何故かははっきり分からない。でも辛くて見られない。

 

私が何故か考えて思いついたのは次の2つ。

 

 

1つ目は、好きな事に対して苦しみながらも成功して、ステージで輝く彼らを見ていると、自分に腹が立つし、素直に彼らの成功を喜べないという気持ちがあるから。

 

2つ目は、私が彼らを好きでいることは、バレてはいけないことで、バレれば楽しみも好きな気持ちも否定されて壊される。その恐怖も隣り合わせだから。

調子の良いときはそんなものは大した恐怖ではなかったし、好きなことを主張したい気持ちもないし良かったが、望まれていない事をするのがしんどくなった。否定されて壊されるものを最初から好きになりたくないと思うようになったから。

 

考えてはみたけど、どちらも当てはまる気がするし、当てはまらない気がする。

 

彼らが成功して、私が彼らを見にいかなくても目に入ったり耳に入ったりするようになると、もっと嫌いになった。

 

成功した彼らが憎いのだろうか。見るとイライラしてしまう。

 

ついでに彼らを純粋に好きでいることすら許されない自分の環境にもイライラする。

 

最近、彼らが本当に多くの番組にでて、私が父親から与えられる苦行に耐える間にもテレビから彼らの声が聞こえてくる事があった。

 

その時は、何故か本当に気分が悪くて吐きそうになった。

 

見たくない時に見たくないものを見せられたという感覚だった。

 

もし父がいなければ、疑いようもなく私はまだ彼らを好きでいた自信がある。

 

本当に好きだったのに、こんなに嫌いになった自分の気持ちが、本当によく分からない。

 

嫉妬?悲しみ?なぜこんなにも悪い感情ばかり彼らに向けてしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木炭自殺未遂をした話

自殺未遂とはどの程度を言うのだろうか

 

自殺を企てたが、諦めたとき?

自殺を企て、遂行したが、途中で心が折れたとき?

自殺を企て、全てが計画通りに進んだが、運悪く死ぬことができなかったとき?

 

私にとっては、1つめにあげた例はとても頻繁に起こる事だ。

 

毎日毎時間のように、

 

死にたい、消えたい

 

と考えているので、どうやって死のうかどうすれば上手くいくのかと考えを巡らせることはもはや日常である。

 

ただ、その先にしっかりと進めた事は今まで一度もなかった。(リストカットは何度も挑戦しているが、一度も深く切れたことがない。)

 

それは私の自殺の原因にも関係するのかもしれない。

 

DVとは波のあるものである。ある時はとことんまで人権を侵害され、ある時はまるで大切にされているかのような扱いを受ける。頭がおかしくなりそうになる。悪いのは私だけ。あの人が正しい。とそう思わされることは少なくない。

 

だから、調子の良い時、悪い時、もちろん後者が圧倒的に多いが多くの人は前者を味わう事をいわば生きる糧としているのではないか。

 

だが、それは本来味わう必要のない苦しみであり、逃れられるものでなければならない。

 

でも現実は甘くない。いつもやられる側に重い選択が迫られ、大きな恐怖とリスクを背負わされる。

 

逃れるには死しかない。でも、もしあの人が死んだりして、状況が良くなったら?それに、失敗したら、バレたらどうなる?恐怖はエスカレートしていくはずだ。

 

と考えてしまい、結局実行に移せなかった。

 

 

 

でも今は本当に限界だ。

 

父親への恐怖はどんどんと大きくなり、父親の言動も行動もどんどん酷くなってきている。

 

仕事のストレスが増えたそうだ。

家でもクズと能無しばかりで、ストレスを受けるそうだ。

 

 

だから本当に殺してほしい。殺してくれないならもう、自分で死にたい。消えてしまいたい。感情を持つから辛いんだ。存在ごとなくなりたい。

 

そう思って、部屋の一角に密閉空間を作った。

机の骨組みを利用して、段ボールで壁を作った。

 

そしてノズルのついたライターと、木炭を買ってきた。

 

こんな事をしている人は聞いたことが無いし、正しい方法とは言えないだろうが、私の弱い頭で必死に考えた策だった。

 

実行までには、勇気が出ずに数日を要した。

 

そして、また暴力を受けた日、木炭に火をつけた。

 

初めは、作った空間に木炭を置いた小さなグリルを持って入って、火をつけようとしたが、酸素が足りなかったのか、なかなか火が付かなかった。

 

ガムテープで周囲を十分に囲んだ後だったが、仕方なくまた外に持ち出し、30分程度かけて火を付けた。

 

すると煙がもくもく立ち込めはじめた。

 

急いで元の場所へ持ち込もうとしたが、煙で目がやられ、喉に入り込んだガスと酸っぱい匂いが痛くて、気づいたら、水をかけて火を消してしまっていた。

 

もちろん、木炭での自殺が難しいことは知っていたし、煙や匂いの事も知っていた。

 

近所のホームセンターには煉炭の取り扱いが無かったが、どうしても早く死にたかった。記事でみた木炭自殺の成功例を見て、大丈夫だ。私はこんなに死にたいんだから、少しの辛さは耐えられる。と考えていた。

 

でもそうでは無かったようだ。

 

水をかけた後は、

 

ああ、終わった。

 

と思った。

 

木炭で死ぬという自分にとっての一つの救いを失った喪失感、私にはこれくらいの事も耐えられないのかという絶望感。

 

辞めたら後悔すると知っていたのに、辞めてしまった。

 

今はまた、

 

もっと、耐えていれば、今頃は死ねていたのに。

 

と考えている。

 

煉炭を手に入れるか、同じ方法をとるかは分からないが、きっとまた、私は自殺未遂をするだろう。それがどうか、未遂で終わらないことを祈るばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

オンライン授業

環境のせいにするなってよく聞くけど、あまりにも絶望的な環境だったら、環境のせいにしたくなるのもわかって欲しい。

 

そう言うのは、よっぽど強い人か、環境の悪くない人なんだと思う。

 

あまりにも辛ければ、環境のせいにしないと、込み上げてくる黒い感情に対処ができない。それできっと普通なはず。

 

コロナの影響で、学校はオンライン授業になった。

家から離れる事ができなくなり、四六時中キレて回る父親のいる場所で、勉強をすることになった。

 

私は勉強をするのが好き。

物理や数学は難しいけど、面白いし、自分の出来る事が増えるのは楽しい。

でも、家にいる時は、学習の機会なんてない。

時間も状況も構わず、キレて私は、決められた時間に授業に出られない。出られても、怒鳴り声で全く集中できない。怖い。それしか考えられなくなる。

 

私は、どうしてこんなところにいるの?

勉強がしたい。

贅沢は言わないから、少しだけ、授業の時間だけ、お願いだから放っておいてよ。

 

コロナの自粛で、DV被害が増えたと聞く。

ストレスが溜まるから?

そんなふうに擁護して

ストレスが溜まったからって暴力を振るうような人間の逃げ道を作らないでほしい。

 

世の中には目に見えないたくさんの地獄がある。

本当に絶望する。

 

 

正直、すぐに死にたい。

私には、DVの父親がいますがそれは、

そう珍しい事ではないのかもしれません。

 

私の生活では全てにおいて、父親が大きな影響を持っています。

 

どう影響を持っているのかというと、たとえば

 

毎朝、起きてから最初に私がする事は、

父親の声がしないか、

ヤニ臭くないか、

ビールを開ける音がしないか、

TVの音が異常に大きくないか、

眠ったまま動かず、確認をする事です。

 

なんにも聞こえなかったら、父親は8割、家に居ません。

なんでこんな事をするかというと、父親が居れば一挙手一投足ミスが出来ない緊張状態だからです。

 

父親のその日望む行動をしなかったり、父親の問いかけに少しでも返答が間違ったりすると、暴力、暴言、長時間の拘束です。

 

私は、目が覚めて、ビールを開ける音がした時、怒鳴り声が聞こえた時、心臓が破れそうになって、吐き気がして、

 

頼むから誰か私を殺してくれ

 

といつも強く願います。もちろん、こうやって文章を打てていますので、頼んだからって、誰も殺してくれる事はありません。

 

普通にしたい時に勉強ができる、普通に言いたいことを話せる、普通に笑える、そんな家が羨ましいと何度も思いましたが、

私がもしそんな素敵な家に生まれる事が出来たら、さらにさらに上を望むから、満足はしないんだろうなと思います。でも、幸せだろうな。

 

そんな父親も仕事を辞め、毎朝私が何度確認しても、ずっと10割父親のいる生活が始まろうとしています。

お金は無いので、学校にも行けなくなれば、私はもう完全に24時間拘束状態です。

仕事をしている母が帰るまでは、父親と2人ですから当然、何が起こるかは想像がつきます。

 

そしたら、私の心の余裕は極限まで、減っていきます。

 

今の段階でも大概ですが、多分もっともっと希死念慮が強くなって、もっと目に入るもの何もかもを恨み始めるだろうと思います。

 

生きていたくないのは事実です。

あと少し先の私は、死ぬ事が出来ていたらいいな。

 

 

 

DVの父親が仕事を辞めると言い出した。

父親が仕事を辞めると言い出した。

もう、「疲れた」から辞めたいのだそうだ。

 

貯金も少ないし、父親は、ビールを1日10本以上飲む、タバコも吸う。

 

収入が減れば、貯金は切り崩しになり(今もそうだけど)、生活が苦しくなる。

 

母は働いているが、介護職で給料は安い。

とてもじゃないが、父親の酒代、タバコ代を養いつつ、私の学費を養うことは不可能だ。

 

私のバイト代も安い。私が学費を払うのも不可能だろう。

 

だが、1番の問題は、父親が四六時中家にいるようになるという事。

 

それは何を意味するか。

私たち家族の永遠の自由の剥奪である。

 

父親のいない時間は、掃除をする時間でもあった。勉強をする時間でもあった。

何も言いつけられていない時は、少し休憩の出来る時間だった。

 

決して、その時間が多かった訳ではない。

何しろみんな仕事をしていて、父親のいない時間には、自分も家にいない事がほとんどだから。

 

でもたまに、父親がいない、かつ自分は仕事がないそんな時間があったのだ。

それは、この家でかろうじて精神を保つためには、かなり効果のある時間だった。

でも、それはもう殆ど一生奪われた。

 

父親は、仕事を辞めてヒモになった所で、DVが、ヒモのDVに悪化するだけで、

「誰が食わせてやってると思ってんだ」

という態度は根本的には変わらないだろう。

 

「俺は、お前らを養ってやってた」

「お前らが生きてるのは、俺のおかげ」

と相も変わらず一生言い続けるだろう。

そして、

だから「俺のためにあれをしろ、これをしろ、俺はお前らのせいでこうなったんだから、当然の報いだ。」

などと言い出す事は目に見えて分かっている事だ。

 

現に、仕事を辞めると言い出した今の時点で、

「辞めるから、ちゃんと何とかしろ」

「分かってるんだろうな、お前のせいで、こんなに俺は疲れたんだ」

「おい、お前、頼んだぞ」

(頼んだぞは、ミスをしたらボコボコにするという意味で、父親はいつも使います。)

と脅しをかけてきているような調子だ。

 

そもそも、父親は「疲れた」と言うが、

何が疲れたというのか。

いや、大体言いそうなことは想像がつくし、全然知りたくもないけど。

 

私が言いたいのは、

 

お前の「疲れた」なんてどうでもいい。

 

私は、父親が平気な顔で「疲れた」という事が普段から耐えられないほど腹が立つ。

 

お前は、毎日毎日、家族にゴミだクズだ、生きる価値がないと暴言を吐いて、暴力を振るって生きている。

 

お前が納得いかないことは、嫁の家事が下手だとか、お前が嫁に言いつけた大量の仕事のうちの1つを嫁が忘れてしまっていただとか、そんな事。

 

結婚をした時点で、責任はお前にもあるし、受け入れなければならない。それはお前の義務だろ。

 

お前は、自分の思い通りにいかないことがあれば、ストレスが溜まるだのなんだの、自分がとっても可哀想かのような言い草で、文句を言い、家族を抑え付けて、力でねじ伏せて、恐怖で操ってきた。

 

私の中では、

お前が「疲れた」と言う権利なんか、

一切ない。

 

お前の「疲れた」なんか聞きたくない。

毎日毎日、色々なものを犠牲にして耐えてきた家族がいる。疲れたでは言い表せないほどの気持ちを味わってきた。

 

お前は、DVから逃げた母を責めた。母は逃げる事に失敗した。私が意識もないほど、小さかった時の話。

 

誰かの人生をお前は、潰した。潰したなら、お前が引き受けたなら、責任を少しくらいは持つべきだろう。

 

なんだか、何話してんだか全然分からなくなった。

とにかく、ただでさえ父親と暮らす事自体が地獄なのに、四六時中家に父親がいる生活が訪れようとしてる。

唯一の楽しみの学校ももう通えなくなるな。

 

果たして、ほんの少し先の未来の私は、生きる選択ができるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DVの家庭に耐えるしかないあなたへ

このブログは、家にDVの父親がいる私が、

その日ごとの出来事や思ったことを書き、

誰かに気持ちを訴えることで、少しでも楽になりたい。

あわよくば、同じ状況にある誰か、つらい思いをしている誰かに、1人じゃないと思ってもらえたら。

という気持ちから開設しました。

 

私の父は、私が小さい頃、毎日母に暴力を振るいました。

食器や家具は投げられ、イスや刃物などを凶器にして母を痛めつける父親を毎日見ていた私は怖くて悲しくて仕方なかったけど、自分の家が異常だということは分かっていませんでした。

 

しばらくして、私が中学生くらいになった時から、物理的な暴力の頻度は下がったようでした。

毎日だったのが、1週間に1回か2回程度になったという感じです。

でも精神的に追い詰められる、所謂、言葉の暴力はずっと変わりませんし、日々恐怖を抱えて生きるのは変わりません。

 

現在は、私はもう大人になりかけていますが、まだ何にも変わりません。

変えることができません。

毎日、恐怖に支配され、1日5時間、10時間はたまたそれ以上続く説教の中、暴言や暴力に耐えて日々を送っています。

 

私の状況を簡単に説明すると、こうなります。

 

家から逃げたくても、逃げる事が出来ないのに、世間にはそんな人に

「どうして、逃げないのか」

と言う人がいます。

逃げる事ができない事情があるからこうなっているのであって、あるいはそんな事をする気力があるような状況じゃないからこうなっているんですよね。

 

父親によく、

「世の中にはもっと辛い人がおるんやから、お前が偉そうに不幸面するな、気持ち悪いんじゃ」

と言われます。

こんな家庭で、楽しそうな顔して過ごせる人間がいたら会ってみたいし、元凶に言われたくない。

と思いましたが、同じような事を言う人が世の中にたくさんいますね。

他にもっと辛い人がいたら、何をしても、何をされてもいいんでしょうか。

それは違うと思います。

 

この状況に耐え抜く事は、何も意味のない事かもしれないけど、どうしようもできないから、耐え抜いた先に、私にもあなたにも幸せが訪れると信じています。

 

耐え抜くのは、つらいから、耐えられなかったら、思いっきり泣いたり、ここでも、どこでも吐き出していいと思います。

 

どうしようもない

つらい

と泣くのは弱くてダメな証なんかじゃない。

あなたは悪くない、あなたをつらい状況にした人間が100悪い。

 

そろそろ説教を耐える時間になるので、ここで失礼致します。