木炭自殺未遂をした話

自殺未遂とはどの程度を言うのだろうか

 

自殺を企てたが、諦めたとき?

自殺を企て、遂行したが、途中で心が折れたとき?

自殺を企て、全てが計画通りに進んだが、運悪く死ぬことができなかったとき?

 

私にとっては、1つめにあげた例はとても頻繁に起こる事だ。

 

毎日毎時間のように、

 

死にたい、消えたい

 

と考えているので、どうやって死のうかどうすれば上手くいくのかと考えを巡らせることはもはや日常である。

 

ただ、その先にしっかりと進めた事は今まで一度もなかった。(リストカットは何度も挑戦しているが、一度も深く切れたことがない。)

 

それは私の自殺の原因にも関係するのかもしれない。

 

DVとは波のあるものである。ある時はとことんまで人権を侵害され、ある時はまるで大切にされているかのような扱いを受ける。頭がおかしくなりそうになる。悪いのは私だけ。あの人が正しい。とそう思わされることは少なくない。

 

だから、調子の良い時、悪い時、もちろん後者が圧倒的に多いが多くの人は前者を味わう事をいわば生きる糧としているのではないか。

 

だが、それは本来味わう必要のない苦しみであり、逃れられるものでなければならない。

 

でも現実は甘くない。いつもやられる側に重い選択が迫られ、大きな恐怖とリスクを背負わされる。

 

逃れるには死しかない。でも、もしあの人が死んだりして、状況が良くなったら?それに、失敗したら、バレたらどうなる?恐怖はエスカレートしていくはずだ。

 

と考えてしまい、結局実行に移せなかった。

 

 

 

でも今は本当に限界だ。

 

父親への恐怖はどんどんと大きくなり、父親の言動も行動もどんどん酷くなってきている。

 

仕事のストレスが増えたそうだ。

家でもクズと能無しばかりで、ストレスを受けるそうだ。

 

 

だから本当に殺してほしい。殺してくれないならもう、自分で死にたい。消えてしまいたい。感情を持つから辛いんだ。存在ごとなくなりたい。

 

そう思って、部屋の一角に密閉空間を作った。

机の骨組みを利用して、段ボールで壁を作った。

 

そしてノズルのついたライターと、木炭を買ってきた。

 

こんな事をしている人は聞いたことが無いし、正しい方法とは言えないだろうが、私の弱い頭で必死に考えた策だった。

 

実行までには、勇気が出ずに数日を要した。

 

そして、また暴力を受けた日、木炭に火をつけた。

 

初めは、作った空間に木炭を置いた小さなグリルを持って入って、火をつけようとしたが、酸素が足りなかったのか、なかなか火が付かなかった。

 

ガムテープで周囲を十分に囲んだ後だったが、仕方なくまた外に持ち出し、30分程度かけて火を付けた。

 

すると煙がもくもく立ち込めはじめた。

 

急いで元の場所へ持ち込もうとしたが、煙で目がやられ、喉に入り込んだガスと酸っぱい匂いが痛くて、気づいたら、水をかけて火を消してしまっていた。

 

もちろん、木炭での自殺が難しいことは知っていたし、煙や匂いの事も知っていた。

 

近所のホームセンターには煉炭の取り扱いが無かったが、どうしても早く死にたかった。記事でみた木炭自殺の成功例を見て、大丈夫だ。私はこんなに死にたいんだから、少しの辛さは耐えられる。と考えていた。

 

でもそうでは無かったようだ。

 

水をかけた後は、

 

ああ、終わった。

 

と思った。

 

木炭で死ぬという自分にとっての一つの救いを失った喪失感、私にはこれくらいの事も耐えられないのかという絶望感。

 

辞めたら後悔すると知っていたのに、辞めてしまった。

 

今はまた、

 

もっと、耐えていれば、今頃は死ねていたのに。

 

と考えている。

 

煉炭を手に入れるか、同じ方法をとるかは分からないが、きっとまた、私は自殺未遂をするだろう。それがどうか、未遂で終わらないことを祈るばかりだ。